1942年8月。
この村に忠さんの部隊がやってきました。
戦犯裁判記録などによると、忠さんの部隊は銃剣や機関銃で女性や子どもを含む約350人を殺害し、家々に火をつけて村の一帯を焼き払ったとされています。
村から人は消え、今は廃墟と化した駅舎だけが残っています。忠さんの遺書
「只(ただ)私は御国の為(ため)に取った行動です
そして此の事件の為に責任を問われて此んな判決を受けたのです」
「どうか父母兄弟親族の旁々に破廉恥行為で無い事は御理解出来ていただく事と存じます」橋本和正さん
「弟に向けて『意に添わぬことは絶対にするな』というようなことも書いています。もしかしたら一連のマレー半島で犯した中国系住民の大虐殺というかそういう粛清作戦そのものに対して自分の意に添わぬ行為を繰り返し繰り返しさせられたんだな、というような印象もそのときに思いましたね」
「(周囲から)『叔父さんも戦争の被害者だったんだよね』と言われてると正直ほっとする気持ちはありました。『同じ戦争の犠牲者だったんですよね』と言われるとほっとはするけれども。でもやっぱりそれで良いのだろうかと思っていますしこの事実を伝えていく大切さがあると思います」虐殺事件の生存者 鄭来さん(90)
「(日本兵は)住民を数人の小さなグループに分けて連行し殺害を始めました」
当時6歳だった鄭来さんは、家族やほかの住民らとともにゴム農園に連れて行かれ、日本兵から一列ずつ並んで跪くよう指示されました。そして、銃剣で次々と刺されたのです。
鄭来さんの目の前で家族5人が殺されました。かろうじて意識が残っていた鄭来さんは血だらけになった弟を連れて森の中を逃げ回り、一命を取り留めました。
「お前は生まれてくる時代を間違えたのかもしれないね」
母親が亡くなる前につぶやいた言葉が今でも忘れられないといいます。虐殺事件の生存者 鄭来さん(90)
「何の罪もないのに家族が殺されました。(日本兵は)人間の感情なんてなかった。どうしたらこんなにひどいことができるのですか」
橋本和正さんは、これまで2度マレーシアの虐殺現場などを訪問し、現地の住民たちとの対話を重ねてきました。
スンガイルイ村で和正さんの訪問に立ち会った華僑の林栄源さんは「失われた命は二度と戻らない」としたうえでこう話します。
親族が日本軍に殺害された林栄源さん
「(日本人に対する)憎しみというのはありません。ただ私が言いたいことは二度と戦争を繰り返してはならないということです」
戦後80年を迎えた今、和正さんは日本の“加害の歴史”から目を背けず、決して忘れてはならないとの決意を新たにしています。
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/2181248?page=3
いつの間にか自虐教育だと言うようになって戦争を肯定するようになった
異常だよ
ネトウヨファンタジーが通用しなくなってきてる
それAIに捏造だとか証明させたりしようとしてるんじゃないのか
?
むしろ逆なんだけど
南京事件とかよく知らないから聞いてみたら、当時の日本兵の日記やら外国人女性教師の日記やら色々出てきて
やっぱあったんだなと
玉音放送から連合国軍が上陸するまでの2週間で文書を徹底的に焼却しまくったエピソードがあるからな
文書で残っている以上にえげつない軍隊だったのがWW2日本軍
ちなDe
一応当時でも発展途上国の野蛮人とかじゃなく先進国の一員ではあったんでしょ?
既に関東大震災とかで朝鮮人や社会主義者共産主義者の虐殺を軍や警察が主導してやってた国だから
アイヒマンの実験と一緒です
高い社会性をもった人間は権威主義に染まりやすいので
状況が揃えばいくらでも残虐になる
日本社会はそういう風潮があきらかに濃い
日本人は美しい花を作る手を持ちながら、一旦その手に刃を握るとどんな残忍極まりない行為をする事か
加害者の卑怯な言い逃れに過ぎない
この息子さんは偉い
まあ犯罪ジャップ国が悪いのは間違いない
やっぱ悪の枢軸やん
日本には戦争に対する反省がない
ウキウキしながら占領下の日本軍に付いて聞いて来たので「幼馴染で名家の女の子が妹と一緒に校庭で日本軍に強姦され殺されるを見せられてとても悲しかった」
と現実パンチを喰わせたら泣き出したというエピソード話があったのだがAIのジェミに聞いても「この様な話は無い」と言ってくる
俺の記憶違いなのだろうか?
やった事も起きた事もそれに至るストーリーもすべて否定して
「でもでもだって日本は悪くない」とだけ垂れ流す
私が読むくらいだからそんなに高尚な本ではないしマイナーな本でもない
恐らく夕刊フジか日刊ゲンダイの記事だったと記憶している




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