フェミニストが高市首相を歓迎できないこれだけの理由 上野千鶴子(東京大学名誉教授)
https://wan.or.jp/article/show/122412025年10月5日、X(旧ツイッター)に次のように投稿した。
「初の女性首相が誕生するかもしれない、と聞いてもうれしくない。来年は世界経済フォーラムのジェンダーギャップ指数で日本のランキングが上がるだろう。
だからといって女性に優しい政治になるわけではない。」
それに対して賛否両論がバズった。批判的な投稿には「フェミニストなら女性がガラスの天井を破って憲政史上初の首相になることを喜ぶべきだ」というものがあった。
フェミニストなら女性首相を歓迎しなければならないのか? 女が権力の座にくことをフェミニズムの目標だと考えている人たちにとってはそうだろう。
わたしはインタビューでこう答えている。
「フェミニズムを戯画化する意図で外野がそう言いそうですね。しかし、それはフェミニズムをあまりに単純化しています。」
女が一枚岩ではないように、女性政治家も一様ではない。「女なら誰でもいいのか?」という朝日新聞のインタビューにわたしは、
「初の女性○○が事件になる時代は、とっくに終わりました。女なら誰でもいいという時代では、もうありません」ときっぱり答えた。アジア圏にはすでに女性の政治的リーダーが何人も登場している。フィリピンのコラソン・アキノ大統領、インドのインディラ・ガンジー首相……
いずれも救国の英雄や独立運動の闘士の妻や娘、いわば世襲のようなものだ。韓国では初の女性大統領、朴槿恵が誕生したが、彼女は軍事独裁政権を率いた朴正煕の娘。
この女性大統領の誕生を、韓国のフェミニストは歓迎しなかった。
世襲政治家と違って、高市早苗首相は、出自でなく選挙で選ばれた庶民宰相である、と強調する人もいる。
だが、イギリスで庶民階級の出身であるマーガレット・サッチャーが初の女性首相に就任したときも、それを歓迎したイギリスのフェミニストは、わたしの知る限り、ひとりもいない。
アメリカでヒラリー・クリントンが大統領選を闘っていたとき、イギリスのフェミニストたちはそれをクールに見ていた。女性がトップに立つことに、何の幻想も抱いていなかったからだ。サッチャーは福祉切り捨ての保守革命の推進者であり、それにならったのがアメリカのロナルド・レーガンである。20年遅れて日本では小泉政権が構造改革を推進した。
いや、それ以前にすでに1980年代に、サッチャー、レーガン革命をモデルとした中曽根政権による新自由主義的な保守革命が始まっていた。
国鉄民営化を皮切りに、郵政民営化を経て保守革命は完成した。このあいだに、保守が「改革」を唱え、革新側が「守れ」と唱えなければならないねじれ現象が起きた。
これまでも日本には「首相にいちばん近い女」と目される女性政治家は、田中眞紀子、稲田朋美、上川陽子など、何人もいた。では、誰がなっても、フェミニストはそれを歓迎すべきだったのか?
日本にはすでにヨーロッパの一国規模の人口と財政を有する首都・東京都に、女性首長、小池百合子都知事がいる。
前回の都知事選では、小池対蓮舫の「女対女」の戦いになったが、どちらがなってもかまわないわけではない。
「ジェンダーギャップ指数が信用できないことを自ら認めたようなものだ」と批判が寄せられた。
ジェンダーギャップ指数は政治、経済、教育、健康の四分野の複数の指標から成り立っており、その指標には信頼できないものもある。わたしたちは指標を鵜呑みにしているわけではない。
ジェンダーギャップ指数を相対化した上で、使えるものは使うが、それでは測れないものもあるということだ。
日本にはもうひとつ権力ではないが、権威の象徴、というより家父長制の権化のような天皇制がある。
女がトップに立つことをフェミニズムが歓迎しなければならないのなら、女性天皇が誕生したらフェミニストはそれを喜ばなければならないのか?
女性天皇が誕生したらジェンダーギャップ指数は上がるのか?
2024年のCEDAW(国連女性差別撤廃委員会)の勧告では、選択的夫婦別姓に加えて、皇室典範の男系男子継承制を女性差別と認定し、改正を求めた。
これに反発した政府は、天皇制は日本の「国体」に関わると抗議し、CEDAWへの日本の拠出金停止を決めた。(6)国内法より国際条約が上位にあることは当然であり、
それにしたがうつもりがないならば、条約を締結しなければよいだけのことだ。それだけでなく、皇室典範は、男女平等を謳う日本国憲法にも違反しているというべきだろう。
女性皇族が「適応障害」や失声症を伴うような苦難の人生を送っていることは、同情に値する。皇太弟の長女がまるで海外亡命するかのように日本から出て行くほかなかった事情も、理解できる。
また上皇とその妻が誠実で温かい人柄の持ち主であり、贖罪の意を体して戦跡巡礼を行っており、その息子の夫婦もその意思を受け継いでいることも伝わる。
だが、どんな人柄の持ち主だろうが、あるいは性別が女性になろうが、天皇制が女性抑圧的であることに変わりはない。女性天皇もまた「子どもを産め」という圧力にさらされるであろう。
人権無視の天皇制から、皇族のひとびとを解放してあげたい。
女がトップに立つこと。そのシステムが抑圧的である限り、そのトップに女が立とうが男が立とうが、少しも喜べないのはあたりまえではないだろうか。
それどころか、戦後長きにわたる保守一党支配を支えてきたと。その女性票の動きに変化が起きるのは、社会党を率いた土井たか子党首が「山の動く日が来た」と表現した
1989年の「マドンナ選挙」まで待たなければならなかった。この頃から、女性票は家族票を離れて個人票となり、ゆくえが予測できない流動票となった。
89年のいわゆる「マドンナ選挙」は、「女で闘う」と言われた。この頃から、土井チルドレンや小沢チルドレン、小泉チルドレンなどが登場してきた。
ここ数年の選挙では、女性候補者が増えてきたが、それも「女が闘う」よりも「女で闘う」側面が強そうに見える。自民党の右ブレを招いた参政党の躍進はその例であろう。
事実、参政党の支持率は女性より男性が高い。高止まりしている高市政権の支持率も、女性より男性がやや高い。
それならなおのこと、なぜ「日本人ファースト」を唱える「参政党的なもの」に、女性が動員されたのか? この問いに向きあわなければならないと考える識者も多い。
戦後女性有権者の動向の基礎には、ねづよい生活保守主義がある。その生活保守主義が求める福祉国家は、その裏面にかならず排外主義を伴う。
つまり福祉の受益者の資格を持つ国民と、その資格のない国民以外の者とのあいだの、境界の管理を伴う。それは障がい者を断種させてきたスウェーデンのような高福祉国家も例外ではない。
ジリ貧になってきた日本という国家で、限られた原資を誰にどのように配分するかをめぐる「再分配の政治」は、ますますきびしさを増すだろう。
外国人の次は高齢者が、そして障がい者や貧困層が、ターゲットになることは容易に想像できる。いや、すでに、排除と攻撃は始まっている。
女性首相に率いられるこの国の近未来に、監視の目を怠らないようにしよう。
なぜ高級タワマンに住んで高級外車に乗れてるのか
ベストセラー作家やぞ
女の文章
お前の読解力が低いだけ笑
マ●コで読んだら理解できるらしいな😁
まさに女の敵は女の典型みたいなやつ
フェミ男、弱男、LGBT、女を尊重するタイプの連中をむしろ理想としなくちゃいけないけど男だからとか弱者だからとか叩いてるから支離滅裂で笑えるわな。
そら女差別はなくならんわ
論理とか考えても無駄
批判もフワッとしてるな
まさに女って感じだわ
社会保障とか社会福祉政策全般の話になってしまっている
本来なら手を取り合って高市に対抗するのが筋なのに味方同士でいがみ合っていては自民党の思うつぼだ
あと、結婚してたんだよな
遺産相続とかね
実子の心情は想像するしかないけど、きっと、つらかったと思うよ
フェミニストってのは論理があっちこっち飛び飛びになって
結局何が言いたいのかよくわからなくてはいけないという
縛りでもあるのか?
君の読解力が低いんでないの
典型的な女の書いた文という感想しかない
論点がとっ散らかってて何が言いたいのかよくわからない
とあるコマーシャルはフェミに燃やされると予想してたけど
あれは無風だよな
カップ麺は燃えたのに不思議だ




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